Archive for 10月, 2008
Warm heart
今日の朝はちょっと寒かった。いつも犬の散歩の時に会うビジネスマンも「いや、冷えましたねー」と言いながら通り過ぎる。僕は原則的に1年中半パンで過ごせたらいいなと思っている陰影に欠ける人間なので、秋になると昔からなんか心細くなってくる。最近は全然見ないけど、コスモスなんて見ると子供心にもユーウツになったりしたもんだ。今も進歩ねえな。
With hot coffee, you see a warm heart・・・温かいコーヒーがあると、あなたは温かい心情を見つけることが出来る。んっ?これはエール大学の心理学者が最近発表した論文のタイトルである。
暖かいのと冷たいのと、飲んでいるものの暖かさにより、そばにいる人への感情が違い、温かいものの時の方が好意的に感じるのだそうである。これは彼らの以前の研究で、実際に二人の離れている距離によりその人への好感度が違うという結果から類推され、計画された。温度は相手への評価だけでなく、その人自身の行動にも同様の影響を与えるとのこと。暖かいコーヒーを飲んでいる方が、アイスコーヒーを飲んでいるときより優しくなっているようである。
これは脳において温度変化により励起されるパートは、ある種の精神障害で他人と協調できない、また他人の信頼性を全く評価できないケースで障害されるパートと同様であるとのことで、実際の温度と、精神的に感じる温かさ、冷たさとは密接に関係していると考えられる。
心が暖かい、冷たい、心が離れている、近い、こういうのは単なる比喩ではないということね。以前いじめられると、実際に脳の部分で身体的に痛みを感じる部分が同様に反応を示すというペーパーを読んだことがある。物理的なことと心理的なことは密接に関係しており、心が痛いとか感じを表す言葉は単なる比喩ではなく、実際にそう感じているのである。
ということはー、僕が心の暖かい親しみやすい院長であるという感じをスタッフのみんなに持ってもらおうと思えば、みんなに厚着をしてもらってできるだけベタベタと近づいて話せばいいのだな・・・・暑苦しいヤツと思われるだけか。やめとこ。
自分のスタイル
この忙しいのに、土曜日の午後2時から7時、日曜日の朝9時から午後6時まで座りっぱなしで講義を受けた。「健康スポーツ医」(そういうのがあるのである)の資格取得のため仕方ないのである。休憩はお昼の40分だけで、全くエコノミークラス症候群になりそうだったわい・・・ブツブツ。
大阪府医師会館の小さなシートに座り、出前のお弁当を食べながら持っていった伊丹十三氏の「ヨーロッパ退屈日記」を読む。僕のティーンエイジの時の人生の教科書は彼の「女たちよ!」であった。そこで僕はスパゲッティを食べるとき、フォークに巻くのにスプーンを使う場合もあるが南部(北部だったっけ)イタリアではやらないとか、イギリス人の正統的な歩き方は膝を曲げないとか、得がたい知識を学んだのである。すごく好きなガールフレンドと電話で話すときはどのような姿勢で話すかという素晴らしい知恵も学んだ。・・・優雅だなぁ。
まぁ言ってみればどうでもいいような、ある種の人々には全く意味のない本であろう。でも僕は人生のスタイルを学んだのである。今の僕の奥深いところにあるセンスはかなりこの本によるところが大きい。
「ヨーロッパ退屈日記」は彼の処女作であり、「女たちよ!」より評価が高い。が、僕はあんまりピンと来なかったので1度読んだきりであった。「女たちよ!」は100回位読んでるけど。で、僕も年を重ね、今読むと印象が違うかなとこの前文庫本を買ったのである。
面白い。「女たちよ!」にあったと勘違いしている文章もあったな。基本的にこの2冊は兄弟である。底に流れるクラシカルな優雅さ、頑固なスタイルは以前のように手放しで感心しないが(かなり嫌味でもある、無理してる感じもある)、でもある種のスタイル(これは人生に対する態度のことである)を得たいと学習している著者は、なんでも事たれりとだらけている、そこらへんに居るおっちゃんたちとはだいぶ違う。
彼がこれを書いたときは20代後半だったのである!その事実に愕然とする。文庫本になるときに付け加えた後書きで、「青臭さに恥ずかしさが先に立つと」書いているが、そのときでも41歳である。大人である、今の僕よりもはるかに。
人生の目的は自分のスタイルを持つことである、とタキ(知らないでしょう?)が書いていた。あまりさえない医者たちが沢山たむろしているロビーを見ながら「スタイルが無い」と僕は呟く。「勿論僕も。これではいかん・・・」
リセット?
久し振りに友人から電話がかかる。彼女とは30年くらいの付き合いで今では子供もほぼ手を離れ、自分の趣味と実益を兼ねた(といっても収益はあまり無さそうだけど)アート関係のことをやっている。僕と同年齢である。共通の友人についての相談の後「最近どう?」という話になるが珍しくあまり元気が無い。
「なんかさぁ、このまま年をとって子供の世話になるしかないのかなんて思うともう早く死んじゃった方がいいのかなぁなんて思うわよ」
「そんなに楽しいことってあまり無いじゃない?なんだろう?あるかなぁー」
彼女の場合、どうもある友人との付き合いがしっくりいってないみたいでそれが主因であると鋭い臨床医である私は診断を下し、「くだくだ言ってないで早く風呂に入ってぐっすり寝てください」と高校生に対するかのような回答を言う。
勿論、実際はそう簡単なものではない。
「アエラ」を手に取る。「男50歳の危機、力まずリセット」との記事。「会社にも家庭にも恋愛にも居場所が無い50過ぎのダメ男。同世代の友人が立て続けに旅立ち、孤立感だけが募っていく」・・・ここもかよ!
昨年の日本における自殺者は50代が各年齢層で最大だそうである。凶悪犯罪も50歳代男が最大数である。つまり生きにくい世代というか年代なのだな。
それがどうした!?
この世代は元気が無い。迷えるミッド・エイジ・クライシスである。ということは元気であるということだけで存在価値があるということだ。こいつ元気で明るいなー、まあいつまでたっても楽しそうでしぶといわねー、何をやっても死なないな、こいつ、と他の世代に思わせるのが50代の役割なんじゃなかろうかね。枯れるのはまだ早いよ!
と僕は信じている。でもこの真っ暗な闇にそぼ降る雨の音を聞いていると心がシンシンとしてくるのを否定はしないけどね。でも明日になれば僕は再び蘇るのである。懲りずに。
So what ?
リアル
引越しでクリニックの整理をしていると、「リアル」の第4巻が出てきた。ここにあったのかい・・・。捜してたんだよ。でもよかった。
「リアル」は「スラムダンク」の井上雄彦氏が描く車椅子バスケットがテーマのコミックである。週刊誌に不定期連載されていて、かなり間隔を置いてまとめて1巻として出版される。いままで7巻まで出ているのかな。見つけるとすぐ買う。
僕はあまり漫画を読まない。しかしすごく好きなコミックスは今まで何冊かあった。高校生の時、真崎守氏の「ジロがゆく」、そして宮谷一彦氏の「俺たちの季節」「ジャンピンジャックフラッシュ」は何度読み返したか判らない。二人ともすごく才能のあった人だがいつの間にか書かなくなってしまった。宮谷一彦氏は海外在住でネットで作品を送られているそうだが僕はそこまでコアなファンではない。
今の僕にとって最高は「スラムダンク」。そしてこの「リアル」である。
井上雄彦氏は絵もすばらしいが(「バガボンド」は毛筆で描いていて、今彼以上に描ける日本画家は現在日本にいないとさる大家が述べられているのを読んだことがある)、その台詞は傑出している。
20歳で死ぬと判っている難病(筋萎縮性側索硬化症?)に罹患している少年に車椅子バスケットを誘われた主人公(彼は100m走の選手で全日本的に早い中学生だったのだが骨肉腫のため足を切断し生きる目的が判らなくなっている)は、彼に何故死ぬとわかっているのにそんなに強いのだと、こんなことを訊いてもいいのかと自問しながらも尋ねる。
戸川君、ジェットコースーターに乗ったことある?
あれって実際乗ってる時間はほんの何分かでしょう?だからってあれに乗っている最中に、後何分しかない、後何秒で終わっちゃうってそんなことばかり考えていたら何のために乗ったかわかんないよね。
何のために生まれてきたかわかんないじゃん。
そんなヒマないよ。
主人公、戸川清春がはじめて車椅子バスケ用のチューンされた車椅子に乗るシーン、心の中で「僕は また スポーツができるかな」と静かに思うシーンで不覚にも眼が潤むのである。自分でも驚く。僕の涙腺を弛ませる文学作品はあんまりあったことない。
「スラムダンク」も何回読んでもうっ、とくるのである。老化とは思いたくねぇ。むしろこれは僕の感受性の測定器みたいなものだ。
ジジイになっても読むぞ。
What is that ?
これは何か?朝の京橋の空に浮遊する飛行船 「僕のへこんだグリーンのバランスボール」 である、なっ訳無い!
じつはねー、車のウインドウに張り付いた青虫である。西宮から大阪まで出勤である。途中で気が付いたのだが、振り落とすのもなんだし(だいたいどうやって?)そのまま来た。
以前と違ったこと、数年前と比べて変わった僕、というのは何単元かあるのですが(食事中によく噛むように心がけている、前のようにほとんど丸呑みしない、など。つまらねー、ほっといて)、殺生しない!何でも!というのがその一つです。
蚊とかゴキブリとか、まあそこまで考えんでもというのも殺生しない。朝出る蜘蛛なんかは勿論である。すべてのものの命は意味があり、自分の都合で考えてはいかん。なんかのひょうしで捕まえてもキャッチ アンド リリースの原則を守る。
いつ頃からそうなったのかはっきりしない。でも強くそう感じるように心の流れが変わっていったのだ。今までの懺悔?まさか。何に転生するかわからないから?ぼくはそういうのは全く信じないのだ。ひょっとすると間違っているかもしれないがいわゆるスピリチュアルは全く信じないのです。
でも殺生は駄目、これはブラインド・フェイスです。スピリチュアルは信じないのですが、この地球上のものはすべて自分と同一ではないか。色即是空 空即是色。これがベースのような気がします。
この飛行船はお昼にはどこかに消えていました。無事を祈る。
ギフト
今も診察室に座って書いているのですが、なんか新しいけどもうすでに相当使い込んだクリニックのような既視感にとらわれる。なぜだろう。
さっき待合室でスタッフと喋っていた時、デイサービスのスタッフが届け物をしてくれました。今度のクリニックのマスコット的存在は梟(ふくろう)なのです。なんでー?実はデザイナーの方とお話していた時、梟は森の賢者であり、知性の象徴であり、またラッキーシンボルである。福老とか不苦労とか、語呂合わせもふさわしいということで、結構短時間で決定しました。彼が書いてくれた梟はキュートで気に入っています。酔っ払ったような、クレイジーなやつも作ってほしいという僕の願いは却下されましたが。
で、スタッフが梟をデイでの作業療法の一環として廃物利用で作ってくれたのです。本当に嬉しい!サンキュー。負けないよう頑張るね。
酔郷譚
引越しで夜遅くなり、早く寝ようと思いながらもつい倉橋由美子氏の遺作「酔郷譚」を手に取ると、つい最後まで読んでしまう。短編集だが、最後の2編くらいになると時計を気にしながら「ああ、もういいや」と。
独特だ・・・なんでこんなことが考えられるのだろう。これは酒会社が広報として出している雑誌に連載されたもので、お酒がテーマになっているが、桂子さん、入江氏、九鬼さん、そして慧君とオールスター戦みたいなものである。いずれも他の作品に何度も登場している、彼女の読者であればご存知のグッド・キャラクターばかりだ。
彼女の本を読んだのは「交歓」が最初であった。びっくり!こんな本があったのか。桂子さんが主人公であるが(いわゆる桂子さんシリーズである)、あまりの教養の高さについていけず。しかも上品に艶かしく、今まで僕が読んだことの無い異次元の感覚であった。
それからはよく読んでいるぞー。ともかく微妙にエロチック、イマジネイティブ。高度に教養主義、高貴。基本的に「酔郷譚」もそうだが生と死の世界を平気でいったりきたりしている人たちなのだ。
「酔郷譚」のなかの「黒い雨の夜」では男も女も無くなってしまうぞ。なんなんだこれ、と思うも、想像力にニコニコしてしまう。これがこの本では一番好きだな、今のところ。
酒を飲むよりずっといい気持ちにさせてくれる。みんなにお勧めは出来ないが、好きな人はマニアになってしまう、そんな人です。貴重だ。お亡くなりになられて本当に残念。もっと老年になられるともっともっと凄みのある世界を表現されたのではないだろうか。
この絵のイメージね
引越し完了!
えー、昨日診療所を移転したわけですが、想像以上に大変でした。
もともと医療機関は膨大な量の届出(保険診療登録番号とか予防接種が出来るとかもろもろ)をしているのですが、ぜーんぶ出し直し。うちの法人本部と城東区医師会の事務長さんの涙ぐましい努力が必要でした。特に保険診療の請求の関係で新しくはじめる時は月初めからが多いのですが、どうしても連休を利用して引っ越したかったので(でないと不可能)いろいろややこしい手続きが必要でした。社会保険庁の態度の悪さ、仕事のやる気の無さ、懲りない人たちです。
で、土曜日の診療終了後から引越し開始したのですが(手伝ってくださった多くの人達、酒井医療の方々、MRのボーイズアンドガールズ、本当に有難う)、プロの引越し屋さんも多数参加したのにもかかわらず運び出しに非常に時間がかかり、なんやかんややっていて帰ったら真夜中を越えていました。今日も朝8時半から(皆さん本当にお疲れ様)やっていたのですが、通信関係のトラブルが続出し院内LAN設定までたどり着かず、夜までやって結局また明日もということになりました。
といいながらも多くのセクションは準備ほぼ完了。かなりいい感じです。僕の診察室は電子カルテのモニターが3台(僕と看護師さん、事務の人が使う)にCR(レントゲンをPCで見る)のモニター、予約用のモニターとか6台くらい並んでいて、ここはIT関係の事務所か株屋さんですか?と一瞬思うような様相を呈しています。勿論これではいかんと改善しましたが。
僕が今一番こうしたいと感じていた形がかなり現実化していると思います。後はそれを生かす内容を提供すること、それに全力を注ぎたいと思います。これで終わりでなく今からがスタート。疲れてる場合じゃないのよ。なんのかんの言いながらもとても楽しみです。
写真載せたかったのですが、忙しくて写真撮るの忘れとった・・・
モーニング
昨日休みだったんだけどやることがあって早く出かけた。少し早く着いたのでどうしようかなー、コーヒー飲みたいなと思っていると「モーニング」と看板を出している喫茶店があるではないか。
「モーニング」!20年以上いただいたことが無い。研修医だった頃に同期生の部屋に泊まって出勤前に食べたとかそんな程度だ。しかもその時点でファミレスだったような気がするので、由緒正しいモーニングは多分学生の時、30年以上前ではなかろうか。
少し覗くと定年後のおじさんがスポーツ新聞を読みながらトーストを食べている。これこれ。王道です。入ると決めてドアを開けると、少しくたびれた感じのオバサンが「いらっしゃい」と言いながらメニューを持って来た。何種類かあって一番シンプルなやつをチョイスする。
コーヒーがやってきたのだが、一口飲んで衝撃を受けた。30年前とおんなじ味がする!こういう喫茶店のコーヒーの味は何故同じなのであろうか。コクよりというよりも単に苦く濃い感じ、昔初めて喫茶店に入って飲んだコーヒーの味そのままである。なにか決まった業務用があるのかな。
一瞬激しくタイム・トリップするが、また意識を店内に戻すとこれまたレトロなんだなー。ジョージベンソンの「マスカレード」がかかっている。びっくり。一人で入ってきたお姉さんも髪型が激しくタイム・トリップしている。自分が学生のような気になってきた。何人かいるビジネス・マンも、どっちか言うとサラリー・マンというほうがぴったり来る野暮さで、全員スポーツ新聞、煙草であった。
結構楽しんで出てきたのだが(僕は長居したのでコーヒーを2杯飲んだ。こういうのはモーニング界においては邪道と思われる)、こういった店が存続しているのはかなり素敵なことである。馴染み客のようなおじさんが「新井組が倒産したてほんまか?」と言いながら入ってきたが、この商売の存続が難しい時代に、スタイルを変えないで(微調整はしているに違いない)着慣れたジーンズのように身体にぴったり合った感触を気に入っている贔屓を相手に着実な商売をする。ロウ・リスク、ロウ・リターンだが歴史を作っているのは間違いない。
僕はしないだろうが個人的には実は結構好きなのだ。

プリシジョン・リハ
今日も結構忙しかった。外来は冬モードで風邪が多く、午前診も午後診も定刻を大きく割り込む。本部の方は引越しの準備でこちらもフル回転である。
来客も多いのだが、今日ははるばる東京のパワーリハビリテーション研究会本部事務局長である木村さんと、理事の望月さんが来られた。来年2月大阪の国際会議場である認知症のケア研究会(国際医療福祉大学の教授でありパワーリハの創設者である竹内教授が会長で、かなりレベルが高い)の協力要請がメインであるが、まあ「ちゃんとやってますか」というお話である。
これからのうちの法人がやっていくパワーリハについてアドバイスを頂き、新しいクリニックをご案内する。
今度のクリニックは2階が診療所、1階がパワーリハのスタジオであり、今までより一層臨床に近い利用を考えている。陽光差し込むスタジオに入られて、お二人とも「うわー、こりゃいいや」と喜んでいただけた。こちらの気持ちも明るくなる。
僕が今まで医者をしていて、間違いなくどなたにもお勧めできる健康法は「日常的に継続した軽度の全身運動」、これだけである。最も効果が強く、慣れれば快感も大きい。身体だけでなく脳にも心にもいい作用があるのだ。バナナ・ダイエットなんぞではない。
パワーリハが手軽で楽しめるよう、いい形にしていきたいなと強く思った。ここではパワーリハが中心だがそれだけでなく様々なメソッドをつかって身体組織を再活性する工夫があり、「プリシジョン・リハ」と名付けた。プリシジョンとは正確なとか、精緻なとか、狙い通りにとかいった意味がある。
元気な人にも、障害を持つ人にも、すべての人に運動を。それが「プリシジョン・リハ」である。わかって欲しいな。






